地図を持たない流浪民 / Means vs. Ends

「手段が目的化する」ことが多く起こります。「上司に言われたことを忠実に実行する」「会社で決められたことを不平なく行う」という日本企業(の社員の)まじめて従順な良い面が現れているのだと思います。ただ、教育の弊害もあるかも知れません。時間が限られており、暗記することがたくさんある受験時に、「この情報はなぜ覚える必要があるのだろう?」とか、「本来、この方程式はなぜこんな形をしているのだろう?」などと本質的な疑問を持っていては、時間が無くなり、志望校に受かることもおぼつきません。消化しなければならないカリキュラムもあるため、教師側も、授業の”効率”を下げる生徒の質問をあまり歓迎しません。進学校ほどこの傾向は強いです。

粗く言えば、上記のような構造的な理由で、いわゆる、学業で優良な良い子ほど、無目的で(あるいは、目的を理解しないで)行動することに違和感を感じない傾向があるのだと思います。本来手段であるものが目的になっています。

あなたもお気づきの通り、この傾向が続けば、日本の未来には悲観的にならざるをえません。言い古されたことですが、世界は、今後更に、複雑になり明確な変化を読み取りにくくなり、その変化自体の変化も大きくなり、行く末も読みにくくなります。(VUCA)このような環境を生き抜くには、何を解決すれば良いかを自分で考え(課題設定)、自分で最良のソリューションを見つけ出す(課題解決)スキルが必要です。与えられた試験問題を解くことだけに長けた子供たちにとっては難しいタスクでしょう。

「今やっていることは何のためにやっているのか、その本来の目的は何なのか」を留意して行うことは、全てにおいて重要なことがだと、特に最近感じます。